寺史

佛々祖々…先師にならい、正しい仏法を護り伝える。

略史

 当寺は昔、和田村(現在の和歌山市和田)にあり「三五寺」と号していました。

 天正13年(1585)秀吉の紀州攻めで太田城が落城した後、初代和歌山城主となった桑山重晴が三五寺を現在の地に移建し、桑山氏の菩提寺としました。その折、重晴公が珊瑚の数珠を寄進したことから、「珊瑚寺」と呼ばれるようになりました。その数珠は今も当寺に伝わっています。

 ご本尊の聖観世音菩薩像は、重晴公が熊野山中の小さな祠で観音像を見つけて持ち帰り奉置されたものです。

 昭和20年の戦災でお寺は焼けましたが、山門は残りました。一時、お寺の北側に移されていた山門は、平成19年に修復し、昔あった東側の位置に再現しました。

安産祈願

 珊瑚寺は安産祈願のお寺でもあったので、本堂には安産を願う多くの犬張子が奉納されていました。境内にある稲荷社には、胎毒(クサ)除け祈願の素焼きの馬が供えられています。

 昔は、草毒とクサと言って、幼い子どもによく吹き出物ができました。馬は草を食べることから子供のクサを取り除いてくれると信じて祈願したそうです。

「珊瑚寺の股白狐」

 珊瑚寺の鎮守のお稲荷さんの床下に、いつの頃からか一匹の雌狐が住みつきました。この狐、股のところに白い毛がふさふさと生えている、おとなしい狐でした。「股白、股白」と呼ばれて和尚さんや小僧さんに可愛がられていました。

 するとある日、京都から呉服屋がやってきて「産着の代金をいただきに参りました」と言います。驚いた和尚は「はて?当寺では産着なんぞ注文した覚えはありませんが」と言うと、呉服屋は「お使いの方は、産着の代金は、紀州和歌山の珊瑚寺でお支払いしますからと申されました」と言います。和尚は、「きっと寺の誰かが買ったのだろう、寺の信用もあることだから」と払ってあげました。

 支払いを済ませて呉服屋と世間話をしていると、小僧さんがニコニコして、「股白が帰ってきていますよ」と知らせに来ました。和尚が巣をのぞくと、何とまあ、3匹の子狐が可愛い産着をきせてもらってスヤスヤ寝ているではありませんか。

 隅っこで股白がバツの悪そうな顔でヒョコヒョコと頭を下げています。和尚は股白を怒ることもなく笑って許してやりました。悪いことをしたと思ったのか、その日から股白と3匹の子狐は姿を見せなくなりました

 やがて皆が股白の話をしなくなったある朝、山門の前に山の幸がどっさり積み上げられていました。「誰がこんなに沢山のものを・・・?」和尚さんも小僧さんも、これはきっと股白がご恩返しのつもりでしてくれたのだろうと思ったそうです。

著名人のお墓

桑山 重晴(1524-1606)
尾張国出身の初代和歌山城主。茶人でもあり、千利休から茶の湯を学んだ。